エロスとパトスとエートスと

2016.09.23(23:33)

通気や日焼け防止のため少年漫画から少女漫画本の入れ替えで「風と木の詩」を出してきて
相変わらずの不眠ついでに ついつい朝まで読んでしまった。
全17巻はヘビーだったw いま改めて読んでも色褪せていないなぁと実感。
男組とまことちゃんで育った私でも少女漫画もフレンドコミックりぼんは読んでいたし。
同時期の漫画家と比べても竹宮恵子は筆力というか画が上手い。
登場人物のすべてが生き生きと個性と魅力を発している。

イマドキで言うボーイズラブの始祖となった少女漫画と言える。
当時は主人公のジルベールと同じく子供の頃から小説宝石だろうがエロ小説だろうが
活字を貪るように読んでいた自分にはそれほどの刺激はない程度だったがホモではなく
ソドミアンという嗜好を植え付けられたのは本著だったかと記憶する。
まだ10代半ばの寮生たちやその親世代に遡る運命の奔流を描いたものである。

ジルベールのエロスにセルジュのパトスが翻弄され またその逆もあり性質の違いから
求めるものが違うことに気付いても対処できないもの対処しないものと別離を歩みつつ
たぶん当時と今とでもそれほど感想に違いはないと思うが オトナの今となっては
ご高尚な考察はおいといて ジルって単なる美しいだけの変態ってだけなのだわw

知性的な部分も持ち合わせているというのは後付けのまやかしであって 本当に知性が
あるのならば衝動的な欲求を押さえられないはずはないわけで。
性的に変態であり 知的にも問題を内在しているのは明らかなのだな。
各々のパトスを持ってしてもジルのエートスは歪んだまま増長するだけであった。

愛情をセックスと置き換えて育てたことはオーギュスト自身の過去への怨恨であって
セックスなしに情愛を注入したらジルは「変わった」可能性もある。なんせ子供だし。
そうじゃなきゃマイケルダグラスと変わらないじゃん。

しかしそれをしてあげられる器量があったのは原因となったボナールのみ。セルジュじゃ無理。
パリのボナール邸でのジルは健康的で可愛くなっていったし。
本能に忠実=無垢ってのは取り違えてるなオーギュ。
まぁまさにボーイズラブで悲恋の物語としては昇華している作品。

竹宮恵子はスゴイなぁと改めて感心した次第。ギャグ的要素を加えずシリアスでここまで
盛り上げるのは突出しているかな。萩尾望都とも大島弓子とも違うリアリズム。
このまま2人が貧しくて小汚いジジイになったらどうなるの?と意地悪なことも思ったけれど。
2人とも特権階級だからこそ出来たこととも言えるしその辺は偶像寓話。

たしか連載ラストまで本紙上で読んだ記憶はないが 少女コミックで一旦終了して数年後?
フラワーコミックなる漫画誌上で再開したみたい。引っ張れるネタではあったからだろう。
ともあれ先日再読した「はいからさんが通る」「ジョカへ」に加え 懐かしく楽しく過ごす。
少女漫画は有閑倶楽部の連載前くらいには卒業して青年誌一辺倒だったからな私。

これは連載当時に買ったものだからコミックス上で竹宮恵子後援会募集の告知があって
一個人の方の埼玉県の住所名前が掲載されてるのも微笑ましい良い時代だった。
ウチですら5桁だったのに郵便番号が3桁w 復刻盤には勿論ないだろうけど。
読者のファンレターへのお返事なんてのもコミックス上で結構あった時代。

ついで「トーマの心臓」に。
続けて読んで良かった。ジルベールの愛は肉体とエロスを伴うものだがこちらは違う。
これまたBLらしい雰囲気は漂わせてはいるが 誰が誰を好きだ 愛してると言うんだな。
これが何か凄く理解できる。友情が凄く心に痛い。風と木。。。も同じくそうだった。
言い方を変えれば友愛というべきか。私だって女友達だって男友達だって大好きだし
愛していると言える。肉体が介在しない愛情を持っているからだ。私のエートスはこれだ。
愛=エロスと短絡的に考えると陳腐極まりない。と思う。

当時としては両著とも刺激的だったり煽情的な部分で売る方略があったとは思うが
実に少年ジャンプと同じ根っこは友情なのである。男組や男一匹ガキ大将と変わりはない。
友達がいない人にはわからないというだけだ。死ぬまで誰か好きな人を保持していたい。

「ポーの一族」に移行予定。気分転換にはマカロニほうれん荘だなー
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