本日ただいま誕生

2015.08.19(00:00)

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制作中断しながら79年に完成公開にこぎつけつつ紛失。
発見され修復しての再公開にて終戦記念日に放送があった。
クレージー映画を何十本と放送の日本映画専門chでのラストである。

クレージーというと大半が東宝なのだがこの映画は東映。
東映組のメンツが多数出ているのでそうかなとは思ったが
OPは「新世映画新社作品」となっている。
その前の特別番組でも言われていたが全国で派手に上映されていない。
地域の公民館的な場所での上映をされていたように思う。

私はこの映画の存在をうっすらと覚えている。
何故かというとこの映画以降、植木等の芸風が変わったからだ。
たぶんこの戦争映画の影響ではないかと考えていたからだ。
(これは所ジョージが「私は貝になりたい」以降に金髪にしたことにも同じく
勝手に戦争映画の影響と考えている。小堺みたいにハゲ隠しだけでなく。
しかも所さんは植木等に非常に傾倒していたし)

それまでの天然破天荒は鳴りを潜めシリアスになり、そもそも住職の息子である
彼がこの頃から仏門に傾倒していったのを記憶している。
本編をきちんと見た記憶はないけど子供の頃じゃまともに見てないだろうな。
そんな自分の中での様々な記憶を元に本編。前半は泣けて仕方がないボロボロ。
泣くからこの手の戦争映画嫌いなんだ。見てるのが凄く辛い。

傷痍軍人となり義足をつけられ引き揚げ後 思い通りにならない鬱屈を抱えつつ
戦中に置き去りにされた戦友となんとか社会的に成功していく。
進駐軍に暴行された過去を持つ女との恋から面倒を見ようとするのだが
「雄平さん あんたの義足にはあんたの身体ひとつ乗っけるだけで精一杯よ」と
言って強気を装う宇都宮雅代が健気で不憫で。

いろいろありつつ支えられ所帯を持つが また戦友に裏切られ文無しとなる。
生活が立ちいかなくなり彼女は春を売る。受胎するも彼女は堕胎してしまう。

ここで荒れつつも「おまえがいないと生きていけないんだ」とすがって泣く。
「俺が不甲斐ないばかりにすまん」とは言わないのが当時の日本のコンセンサスかと。
結局は別離を迎え 自殺を考えるも髪を落とし坊主となって托鉢行脚の旅に出る。
(ここでハナさんの虚無僧とすれ違い植木節なキャラクターがここだけ1分ほど見れる)
いろんな人々と触れ合いながら立ち直りながら 真の僧侶になりやり直しを図る。

中断してから脚本がだいぶ変わったのか 前半と後半ではかなり趣が違う。
前半泣きすぎて一旦止め二日あけて後半を見たので感想が変わってしまった。
前半はとにかく戦争の悲惨さに 後半は悲恋に泣き 仏門に入りましたで終了。

後半から乞食坊主となり 別れた妻を見かけるも声も掛けずに逃げていく。
当初は商売も当たり 才覚もあったのだからなんとか生活を立て直して迎えに行って
欲しかったなぁというのが残念でならなかった。男と女だから時間経過の難しさはあれ。
戦争映画は虚無ばかりが残り辛いなぁ。。。

泣きたくないから もう一度見たいけどビルマの竪琴も見ない。
人と見るのはアクション映画オンリーでヒューマンドラマは見ないけど
昭和と違い昭和生まれでも「戦争を知らない老人」となったとき。
感情を分かち合える人と一緒にビルマの竪琴は見たいなと夢をもつ。
夢は叶わないから夢だけどだから夢として思って生きていく。
たぶん死ぬ前に一人で見るのだろうけれど。
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